論文の書き方中級編
見延 庄士郎
2002年6月12日
このドキュメントは,投稿論文や修士論文などを書く際に,注意するべき点をまとめたものです.より初歩的な内容は論文レポートの書き方初級編にまとめています.一部重複もあるが,まずそちらを参照してください.また,卒・修論で目に付いた良くない表現を,卒・修論に見られる良くない表現にまとめています(人のフリ見てわがフリ直せ).
どういった文章が論文では良い文だろうか?論文でも小説でも,読者が読んで良かったと思える文章が良い文章で,ここまでは両者に違いは無い.違いは,読者が論文と小説とに何を求めているのかが違う.
学術論文の場合,読み手は誰だろう?そう,その雑誌を購読している,現役の科学者あるいはその卵だ.彼/彼女たちは自分の研究や教育や事務処理に追われ,毎月出版される大量の論文の海を泳ぎながら,必要な論文は一通りは目を通そうとしている.しかし時間はあまりにも少なく,やるべきことはあまりにも多い.そんな彼・彼女たちに歓迎される論文はどういう論文だろう.科学的な中身が同じであれば,スラスラ読めて,なにがその論文で言っているのかがはっきり分かる,そういった文章が好かれる.一方,読み返しよく考えなくては分からない論文は途中で放り出される.そういう論文を読みくらいなら,その時間を使って他の論文を読む方がよい.もっともそういう論文は,論文査読の段階で撥ねられて出版されないべきなのだけれど.科学的な内容自体は書き方によらずないと言う意見があるかもしれない.しかし科学的な内容もわかってもらえなくては意味がない.したがって,分かりやすく明確な,という文章が論文で目指す文章となる.
一方,小説の場合は,分かりやすく明確に書いてあってもちっとも嬉しくない.ドンデン返しが魅力となっている小説も数多い.小説に求めるのは,楽しみやリフレッシュや暇つぶしであり,論文に求める情報とは違う.
初級編でも述べているように,論文を書く能力は,1つの研究の全体を仕上げていく能力と深く関わっている.良い研究とは高いレベルの論文を書くことができる研究に他ならない.論文を書く能力があれば,面白そうな結果が出ると,それを論文でどう使うかを考える.例えば次のような考えが脳裏をよぎる:「この結果を生かすには,こういったintroductionがいい.そのintroductionがカバーする範囲で,説得力を持たせるにはこういった解析も必要だ.よし次にはそれをやってみよう.ここで予想した結果になれば,この線で攻めるし,そうでなければ,あのあたりの結果の記述を強めることで大体まとまりがつくだろう.」一方論文を書く能力が欠如しているなら,「面白い結果だ」としか分からず,どうすればそれが生きる研究に全体を組織できるかが分からない.したがって,論文作成能力が高いと,より良い結果が得られる.しかも同じ一連の結果でも,
文章を書く能力が高ければ,その結果をよりよく生かす高度・精緻・強靭な論理構造を展開できる.したがって,文章能力が高い人は,解析や数値計算の技術が同じでも,それだけ高いレベルの学術雑誌で出版するチャンスをより多く持っている.
もし私がポスト・ドクターを採用する機会があれば,第一に重視するのは論文を書けるかどうかになる.解析能力や数値計算は,DCを取得するのに通常期待される技術レベルに達していれば,たとえ畑違いでも数ヶ月で身に付けられる.しかし一流の雑誌に論文を書く能力を身に付けるのは,もっと難しい.しかも,その人の考え方にまで介入して指導する必要があるので,博士を取得して自分は研究者として必要な考え方は勿論身に付けていると本人が考えていれば,そもそも指導が機能しない.論文を書けるかどうかは,これまでに書いた論文のチェック,本人への質問で,大体判断することができる.
★★ここまでかき直し
分かりやすく明確な文章を書くとは,文章全体を通じて説得力がある論理構造を組み立てることと,それを分かりやすい個々の段落・文で表現することだ.つまり,論理構造の構築と文章での表現という二つの問題がある.
論理構造の構築を,文章を書く以外の方法(例えばカードに項目を書いていって並べる,大きな紙に内容の関連図を作る)で,まず行なうという流儀もある.こうすることで,論理構造の構築と文章での表現という問題を,ある程度個別に扱うことができる.他の流儀では,いきなり文章を書き出す.いきなり文章から始める場合は,ある程度の論理構造を書き出す前に頭の中に持っておいて,文章を書きながらさらに整える.はじめての投稿論文を書く場合には,教官に多くの段階でチェックしてもらう方が多くの場合望ましい.そのため,文章以外の方法で論理構造を決める方が,その構造自体を教官にチェックしてもらえるので効率が良いだろう.
ちなみに,私はいきなり文章を書く.論文の場合標準的な構造はほとんど決まっているので,まずはそれに沿って introduction, data and methods, results, discussion and conclusions の構成で書く.書いていって,この標準構造ではおさまりが悪いなあ,となったら適宜sectionを変更する.この流儀で書くなら書きはじめのうちは,論理構造を整えるということに注意するべきで,文章の細かいところは気にしない方が良い.ある段落を完璧にしても,全体の論理の流れからいってその段落を削除する,ということもあるから.また,初期段階では図の完成度も,ほどほどで良い.どういった図を使うかが固まってきてから,図の細かいところを直そう.
なお,論理構造とその文書での表現とを,まったく別々に扱うことはできない.スムーズに読ませられる範囲が,その論文で構築できる論理の限界になる.その限界は,論文を書く材料であるデータ解析や数値計算の結果だけでなく,それをどう文章化するかの料理の仕方を含めて決まる.したがって,論理構造を整える段階では,文章化した上で適切な構造かどうかを判断する必要がある.
文章が分かりやすいポイントで最も大事なのは,読者にうまく予想をさせることです.文章を読むという作業では,読者は無意識のうちにこの先がどう発展するかを予測します.したがって,読者をうまくリードして,楽に適切な予測ができるようにすることが,分かりやすい文章では書かせません.そのための代表的な方法は,次の通りです.
これらの手段は,おおむね論理構造の大極・中ほど・局所レベルに対応しています.上で述べた,文章以外の方法で構造を決定するのは,論文全体の構造に対応します.トピックセンテンスについては,論文レポートの書き方初級編で述べているので,ここでは省略します.
分かりやすい論理構造とするには,重要な事項をできるだけ最初に持ってくることが有効です.これをトップ・ヘビーの原則と言います.なお重要なものを先に持ってくるのは科学論文にとどまらず,企業内の報告などでも推奨されています.例えば一枚程度の短いレポートであれば,最初の文にレポートの結論を書き,後はその理由付けを記述する書き方がトップ・ヘビーな書き方です.逆に前提や問題設定から始まって,最後に結論を持ってくる方法は,論理的な流れではあるけれど,理解しづらい構成です.
なお長文の科学技術論文では、短い要旨を最初に置くことで,全体としては論理的な流れに従いながら、結論はあらかじめ読者の頭に入れて置くという折衷的な方法が取られています.ただしこの場合でも、可能な限り重要なポイントを,各々の節あるいはパラグラフで早めに出すべきです.
なおトップ.ぺビーは質問を行う際にも重要です.なにを聞きたいのかをできるだけ早く述べ,他の情報はその後に付け加える.この逆の前置きを延々としゃべってから、最後に本質的な質問を出すと、周りにいる人から「こいつは何を言いたいんだ?」というトゲトゲしいオーラが立ち上ってくるので,やめましょう.
道標となる語とは,「従って」などのように文と文との関係を示す語句語です.代表的な語には次のようなものがあります,
直前の文と整合的 | 従って,それ故に,このことと矛盾無く, thus, hence, therefore, consistently |
直前の文と逆 | しかし,しかしながら,一方,他方,対称的に, However, yet, nevertheless, on the other hand, in contrast to |
直前の文に加えて | さらに,それに加えて furthermore, moreover, in addition |
離れた文との関係 | 上で述べたように,前述の,後に見るように as noted above, aforementioned, as will be shown later |
「この・その・あの」の指示語と「これ・それ・あれ」の指示代名詞は,指示される対称がすっと分かるように使いましょう。このためには,1)指示語と指示される語を可能な限り近づけて置く,2)指示語の対象を特定する働きのある形容詞・名詞と組み合わせて使用する,の2通りを方法を使いこなして下さい.例えば,次の文を読んでみよう。
学生のレポートでは、簡潔にして理解しやすい文章が書けていることは希である。このことは、学生が科学技術に必要な日本語の技術を学んでいないことに起因していると思われる。自分のアイディアおよび行っていることを明瞭に文書化して他に伝えることは、今後科学技術分野にかかわらず必須の能力となっていくであろう。このことを解決するには、高校・大学における日本語教育のあり方を検討する必要がある。
ここで下線を施した,二つの「このこと」が何を意味しているかを理解するには少々考えなくてはならないので,良い文とは言えません.例えば単に「このこと」とするのではなく,次のようにより具体的に限定して書けば,もっと分かりやすくなります.
学生のレポートでは、簡潔にして理解しやすい文章が書けていることは希である。この問題は、学生が科学技術に必要な日本語の技術を学んでいないことに起因していると思われる。自分のアイディアおよび行っていることを明瞭に文書化して他に伝えることは、今後科学技術分野にかかわらず必須の能力となっていくであろう。このような日本語文章能力の不足を解決するには、高校・大学における日本語教育のあり方を検討する必要がある。
指示代名詞は,特に断らない限り直前の名詞を指示する,と思って文章を書こう.例えば,
指示語は指示される語と可能な限り隣接して置かれるべきである。一旦文章を書いた数時間の後に、その配置が妥当であるかどうかを必ず注意深く検討する必要がある。」
において「その」という指示代名詞は、直前の名詞である「文章」を指示するかのようであるが、もちろんそれは妥当ではなく,「指示語」と「指示される語」とを指示するものとなっている。この文は次のように配置替えすることで,より分かり易い文にすることができる。
指示語は指示される語と可能な限り隣接して置かれるべきである。それらの配置が妥当であるかどうかは、一旦文章を書いた数時間の後に必ず注意深く検討する必要がある。
関連する語をなるべく隣接して置く方が,理解するのは容易です.そのために,前の文と関係する語は文のなるべく前に,後の文と関係する語は文のなるべく後に置くというのも基本的なテクニックです.例えば,
ワープロで文章を書くことによって,文章を書く作業は大きく変わり,良い文章がわずかの労力で書けるようになった.タイプライターや手書きと違って,ワープロでは修正に要する手間がはるかに少ない.一行削除あるいは挿入した場合に,手書きで原稿用紙に書いていた時代では,その後に続く段落を一行上下させるために書き直したり,あるいは切り貼りをする必要があった.
という文章では,下線を付けた前後の文で関連している語の配置を工夫することで,もっと読みやすい文になります.
ワープロで文章を書くことによって,文章を書く作業は大きく変わり,良い文章がわずかの労力で書けるようになった.ワープロで修正に要する手間は,タイプライターや手書きと比べてはるかに少ない.手書きで原稿用紙に書いていた時代では,一行削除あるいは挿入するとその後の文章を一行上下させるさせるために書き直したり,あるいは切り貼りをする必要があった.
この例では,各文が短いので,最初のままでも理解が難しいというほどではないですけれど,もっと文が長くなると,語句の不適切な配置ははるかに理解を難しくします.
また,修飾される語と修飾する語は,なるべく隣接させて置きましょう.例えば,「不適切な語句の配置」は,語句と配置のどちらか不適切なのか,はっきりしません.もし配置が不適切なら,「語句の不適切な配置」とするべきですし,語句が不適切ならば「不適切な語句を使うことは」などとすると良いでしょう.
並列性は,複数の語・句・節をならべる際には,同じ種類のものを,同じ文法形態で列記するというライティング上のルールです.たとえば,「...と....」 (... and ....) がその代表でしょう.例えば,「理論と実験」「時間と空間」「季節変動と年変動」「日最大降水量と年平均降水量」は,並列性を持っているのでまとめて理解することが容易です.日本語でも並列性を高めると分かりやすいですけれど,andの場合には並列性を守る要請は日本語よりもはるかに高いので,特に英語で書く場合には気をつけましょう.並列性が高ければ,文の構造を理解することが容易であり,読者の理解を促進する.
並列性は,"and"や「と」の前後だけでなく,論理構成全体を通じても重視する必要がある.特に,節をさらに細分化する小節(subsection)の表題は,論理的な構造を明確にするために、並列になり得るものを選ぶことが望ましい(いつもそうできるとは限らない)。例えば、「3.1 流速」と「3.2 水位」であれば、これはどちらも(海洋)運動の一側面を表す物理量であるので、論理的に並列になり得る。しかし、例えば、「3.1 流速」と「3.2 黒潮との相互作用」では論理的な並列性が無く、同じレベルの見出しとしてはふさわしく無い。
力強い文章は,読者を引き込んで理解を助けるだけでなく,読者を納得させる効果もあります.分かりやすい文章は力強くもあるものですけれど,それ以外に文章の力強さを出す上で特に覚えておくと良いのは,3つのCと能動態の利用です.3つのCとは,concrete (具体的に),concise (簡潔に), 正確に (correct) です.
抽象的な表現は具体的な表現に比べ,有意義な情報は少なく,また説得力を持ちません.したがって,抽象的な表現を具体的な表現に置き換えて
不都合の無い場合は,常に具体的な表現とするべきです.抽象的表現は,間違うおそれも少ないし一見風格があるようにも見えるためか,しばしば濫用されます.
なお,具体的な表現を使うと不都合 が生ずる典型的な例は,具体的な説明を加えるには長い文章が必要で,
その長い文章を入れると全体のバランスが損なわれる場合です.
科学技術論文では,簡潔さが尊ばれます.みな忙しい最近ではなおさらです.そのために,不要な重複,冗長な表現,を避けるべきです.非本質的な式の提示もやめた方がいいでしょう.
多くの場合,論文の最初の草稿では,ある事項に関する記述が,あっちこっちの段落にばら撒かれていると思います.それは多くの場合,不要な重複となるので,できるだけある事項についての記述は論文の特定の場所にまとめ,そこに入らない部分は削除するなり,そこへの関係を明示するなり(例えば「前述の」を入れる)すると良いでしょう.
正確さは間違いが無いこと,と解釈するとそれほど難しいことではないように感じられるかもしれません.しかし,論文に迫力を出す正確さは,他の研究者があいまいにしていることに対して,どこまで正確に迫れるかです.どれだけの正確さを出せるのかは,知識と理解の程度と,そして文章の表現能力によります.この意味では,どうすれば正確に書けるのかの一般論はありません.まず第一歩は,自分が何を分かっていて何を分かっていないのか,そして分からないことで何を分かるべきなのかを,把握することです.世界は広く・深く,関連するすべてを正確に理解することは,今日だれにとっても不可能でしょう.しかし,自分がここはというポイントは,自分にしかできない正確さを発揮できると,すばらしいと思います.
日本語・英語を問わず,科学技術論文には「私」「我々」という主語をさほど使用せずに,受動態を用いる伝統があります.その方が品が良い,押しつけがましくない,というわけですね.しかし,受動態ばかりが並ぶと文章の力強さが失われるので,能動態も取り入れましょう.
受動態ではなく能動態を用いる方が大抵優れているのは,無生物主語が使える場合です.無生物主語とは,無生物であっても特定の動詞と結びついて主語となる用法です.例えば「海洋循環が風によって駆動される.」という受動態よりも、「風が海洋循環を駆動する.」という能動態の方が,力強い文になっています.
また,コミットを表す「私」「我々」を主語にする能動態も使うべきでしょう.コミットを表すとは,他の人なら違うかもしれないけれど,我々は,という気持ちを表現するわけで,その責任をも著者が追うという前向きな精神が立ち上ります.例えば,「そこで我々は,....と予想している.We spectulate that ...」というのは,「他人は違うかもしれないが我々そう考えており,しかもその考えをこの論文で表明するのは,読者の利益になると信じている.」という意味があるのです.
読者をうまくリードするのが良い文章だという観点では,読者に間違った予想を抱かせるのは悪い文章です.ある文が論理的に正しくても悪い文章では,ダメなのです.この点で,一番よく見られる問題は,不要な修飾語句です.
修飾語句を付けることは,簡潔さの要請に反して,著者がなんらかの情報をあえて読者に伝えることです.従って,読者はそこに著者の意図が反映されていると無意識のうちに考えます.例えば,
日本付近の気候変動に十年〜数十年周期変動が存在することが最近報告されている。例えば、冬季の札幌の気温には、北大西洋振動と共通の十年周期変動が存在することが知られている。この文では「冬季の」とあえて限定していることから,「夏季の気温にはこのような十年周期変動は存在しない.」ことが強く示唆されています.もしそうでなくて,夏季にも北大西洋振動と共通の十年変動が札幌の気温に存在しているのであっても,上の文では夏季についてはなにも言っていないので論理的には正しい.しかし場合は,「冬季の」という修飾語句を加えることで読者に、あえてそうする必要があると感じさせ、そのために間違った推測を引き起こしているので、読者に間違った予測・理解を与える悪い文になっています.この場合は,「冬季の」を除く必要があります.
科学論文であは,受動態を用いる場合が多いと言っても,その主語が何であるのかは,常に明確にしましょう.例えば,「...と考えられる.」というのは,考えているのが著者であるのか,一般的にそう考えられているということなのか不明であるので,悪い文です.例えば「...と受け入れられている」と書けば,一般に受け入れられていることを意味します.
論文を段落単位くらいでどんどん書いていく.結果がきちんとしていなくて書けないことに気づくかもしれない.その場合は,結果を精密にするのに戻ったり,戻らずにとりあえず推測で書いたりする.推測で書いたのは,もちろん後で結果を検証する.ときどき,推測が外れてしまうが,それでも書く勢いをつける方がいい.この段階では,文法はあまり気にしない.また,書いておいて生きそうなことは,とにかく書きこむ.つまり,多めに書く.文章は多めに書いてから削る方が,しまったよい文になる.
結果の図と文とを見比べながら,文のでこぼこを直す.節の配置や,段落の配置を変えることも多い.また,全体の流れを悪くする段落は,短くするなり,短くして他の段落の一部にするなり,入りどころがなかったら削除したりする.ただし削除すると言っても,後で復活する可能性を考えて,一応,unused などというファイルにコピーしておく.このファイルを使うことは滅多にないけれど,精神安定剤というところだ.この段階では,全体の流れと主要な点をきちんとする.
ここはとにかく,問題がほとんどなくなるまでチェックと改訂を繰り返す.したがって,効率良く問題をチェックすることと,それを確実に直すことが,
効率良いチェック方法は,いろいろな読み方を組み合わせると良い.例えば,普通に前から読む,段落の第一文だけ読む,後ろから読む.普通に前から読んでばかりだと,特定の問題を何回読んでも気づかないということがあり得る.
誰だって自分の論文を引用してもらうのは,うれしいものだ.それにもし密接に関連する研究をしていない人の論文を一つも(普通ある分野で数編書くのが普通だ)引用していないとしたら,わざと引用していないか,あるいは無知であるかと思われてもしょうがない.そういった人のところに査読がいったりすると,厳しい結果になるかもしれない.一方,10編も論文を書いている人の論文を全部引用したりするのも,普通はあまりしない(自分のグループの論文だったらすることはある).よって,ある著者については,代表的な論文を1〜3編くらい引用するというのが,適切なところだろう.
気候変動分野のfull paperでは50〜100くらいの論文を引用することが普通である.ただし,ページ数の少ないGRL では30編程度で良い.もちろん,これだけの
全部の論文をきちんと読むのはもちろん大変だ.きちんと読むのとざっと眺めるのとを,うまく使いわけよう.きちんんと読む必要があるのは,論文の主たる主張や結果の比較で具体的にその論文扱う場合だろう.あまりきちんと読まなくて良いのは,もっと軽い扱いで引用する文献である.
なお,学術論文の文章にも,心地良い驚きは有りえると思っています.この心地良い驚きは,通常の想像の範疇を超えて,しかし読めばなるほどと納得できる情報を提供することによって達成されます.この二つの条件を同時に満たすのは,初心者には容易では無いでしょう(特に英語だと).しかし,学術論文が分かりやすさを第一にすると言っても,心地良い驚きを含めて,楽しく読ませる工夫もあり得るのだということは,知っておいて良いでしょう.
論理構造を構築する際に,その構造の材料となるのは,自分が持っている情報です.学術論文の場合情報には文章だけで表現するものと,図や表の形で表現するものとがあります.図や表は慎重に選択する必要があります.まず,学術雑誌では大体の論文の長さの目安(刷り上がりのページ数や,投稿時のテキストの長さ)が設けられている場合が多く,図・表は面積を取るので使える数に限界があります.私の経験では10-20くらいが標準的なところで,刷り上がりで4ページ(図が4つくらい)という場合もあります.ただしページ数や図の数は分野によって違うかもしれません.
図をうまく選べているかどうかの目安は,要旨を読んだ後に,図と図の説明だけを読んで一体どういった研究が展開されているのかが分かるかどうかだと考えています.タイトルを見てある論文が面白いかなと思えば,まず要旨を読み,次に図を見ます.図を見てこれは重要だと思えば,中身を読むということが多いでしょう.また,その論文の全体が自分の研究と関連せずに,一部だけが関連しているという場合でも図で判断することが多いでしょう.従って,要旨と図で大体のことが分からない論文は,読者を逃がしていると言えるでしょう.
少し先走りますけれど,図を最終的に仕上げる場合に気をつけておくべきことを説明しましょう.その際に面倒なのは,異なる図であっても共通する軸を使っている場合は,大きさをそろえるなどの配慮をすることです.またある図で例えば相関係数が0.4以上のところにハッチをかけたならば,できるだけ他の図でも同じようにするべきです.また,例えば図中にタイトルを入れる場合であれば,できるだけ,フォントの種類と大きさをそろえる.
図の大きさは,図を選択する場合に重要なポイントです.例えば2段組になっている雑誌の場合は,1段もしくは2段の幅に収まるように図を作るひつようがあるでしょう.
なお図を選ぶ場合に,カラーか白黒かは大事な問題です.カラープリンターは一般的になって,日常的にはカラーの図を使っている人も多いと思いますけれど,カラーの図の印刷代はバカ高い場合もあるので,普通は白黒の図を使います.こうするとカラーであれば,1つの図で済むのに,白黒では2つの図やパネルにしなくてはならないという場合も出ます.また,カラー代金が図1つ当たりにかかるのではなく,カラーページ代金として複数のカラーの図が一つのページにあっても料金は変わらないという場合もあります.
よくイントロダクションと議論とは最後に書けと言わるけれど,草稿は早い段階で書くことをお勧めします.それはある程度正しい.イントロダクションは,論文の主要部分をうまく引き出すように,従来の研究を振りかえったり,問題を提起・設定したりします.最も結果に適合して引き出すためには,結果の書き方がある程度固まってから,イントロダクションを書く方が良いわけです.しかし一方,当該の結果を引き出せるイントロダクションが書けないとしたら,どうでしょう.どのレベルで
by Shoshiro Minobe(minobe@ep.sci.hokudai.ac.jp,) last modified 12 June, 2000